
ブログを書いていると、アクセス解析を開くのがちょっと怖くなる日ってありますよね。
クリックして数字が出てくるまでの数秒のあいだ、心のどこかで「どうか増えていてくれ…」と祈っているのに、画面に並んでいるのは一桁のPVやゼロに近い数字たち。
あの独特の虚しさと、自分が否定されたような感覚と、「まあそんな簡単には伸びないよね」と笑ってごまかしたくなる気持ちがごちゃまぜになって、胸の奥がじんわり重たくなっていく感じって、経験した人にしかわからない痛みだと思うんです。
私もアドセンスを始めてから何年も、同じ場所でつまずいてきました。
早朝に眠い目をこすりながら書いた記事も、仕事終わりにヘトヘトになりながらキーボードを叩いた記事も、外注費を払ってお願いした記事も、数字だけを見ると「いなかったこと」にされてしまう。
そんな現実に何度も心をくじかれながら、それでもなぜかブログをやめられずにここまで来ました。
でも、あるときふと気づいたんです。
「伸びない記事」って、実はただの失敗作でもゴミでもなくて、むしろ自分のブログの未来を変えてくれる“宝の原石”みたいな存在なんじゃないかな、って。
今日は、そんなちょっと不思議な話を、過去の自分のしくじりもたっぷり混ぜながら、あなたにこっそりシェアさせてくださいね。
PVがない記事を見るたびに、ちょっとだけ心がえぐられていた頃の話
私がアドセンスを始めたばかりのころは、とにかく「記事数を増やすこと」しか考えていなかったんですよね。
サラリーマンをしながら、妻の体調や小さな子どもの世話をしながら、眠気と疲れをごまかして早朝や夜にパソコンの前に座る毎日でした。
キーワードを探して、ライバルをチェックして、構成を考えて、ようやく文章を書き終えたら無料素材から画像を探して、ようやくの思いで投稿ボタンを押す。
そこまでやっても、翌日アクセス解析を開くと数字はゼロのまま、なんてことがざらにあったんです。
頭では「すぐには伸びないよ」とわかっているはずなのに、心はそんなに強くなくて、PVゼロの記事を見るたびに、自分の存在を軽くつねられたような痛みを感じていました。
「この時間で子どもと遊べたんじゃないかな」とか「妻にもう少し優しくしてあげられたかもしれない」とか、余計なことまで一緒に浮かんできてしまって、余計にしんどくなるんですよね。
そんなときの私は、伸びない記事たちを直視できなくて、管理画面をスクロールしながらあえて視界から外すようにしていました。
見ないふりをして、新しい記事を書くことだけに逃げ込んでいたんです。
今振り返ると、それはまるで、部屋の隅に積み重なった段ボールを見て見ぬふりをしながら、新しい家具ばかり買い足している人みたいな状態でした。
ある日ふと開いた「黒歴史記事」が、なぜか愛おしく見えてしまった瞬間
そんなある日、たまたま昔の記事をひとつ開いてみたことがありました。
正直に言うと、そのときの気持ちは「うわあ、怖いもの見たさ」でした。
自分の過去の文章ほど直視するのが怖いものってないですよね。
画面に表示されたのは、タイトルの付け方も甘くて、構成もガタガタで、読み返すのがつらくなるような文章でした。
でも、読み進めていくうちに、妙な感情が湧き上がってきたんです。
「なんか、この必死さ、わかるな…」という気持ちです。
眠い目をこすりながら書いたこと。
キーワードを決めるだけで三十分以上悩んだこと。
妻の体調を気にしながら、子どもが寝静まった部屋でそっとパソコンを開いたこと。
そういう当時の空気感まで一緒によみがえってきて、気づいたら過去記事に対して「ほんとよく頑張ってたな」と言ってあげたくなっていたんですよね。
その瞬間、私は初めて「伸びない記事を責めるより、育ててあげたい」と思えたんです。
それまでは「失敗の証拠」のように感じていたのに、見方を変えたら「当時の自分の精一杯」だったんだと気がついて、なんだか少しだけ胸が温かくなりました。
伸びない記事は「欠点だらけ」だからこそ直しやすいという逆転の発想
PVがない記事を冷静に読んでいくと、だいたい何かしらの問題がはっきりと見えてきます。
タイトルを見ただけでは何が書いてあるのか伝わらなかったり、検索してきた人が一番知りたい答えが記事の後半に追いやられていたり、途中で話が脱線して結局何を伝えたいのかぼやけてしまっていたりします。
昔の私は、そういった欠点を見つけるたびに「やっぱり自分はセンスがない」と落ち込んでいました。
けれど、考え方を変えてみたんです。
「こんなにはっきり原因が見えるなら、むしろラッキーなんじゃないか」と。
伸びている記事って、どこをいじると数字にどう影響するのかが逆に読み取りづらいところがあるんですよね。
ちょっとタイトルを変えただけで順位が落ちるかもしれないし、小さな修正が思わぬ悪影響を与えることもあります。
だからこそ手を出しづらくて、結果として「据え置き」になりがちです。
その一方で、伸びない記事はすでに底を打っている状態です。
今のまま放っておいてもたいして状況は変わらない。
ならば思い切ってタイトルを変えてみてもいいし、構成を組み直してもいいし、場合によっては本文をほぼ書き直してしまっても、失うものはほとんどないんですよね。
これはある意味、とても自由でありがたいことでもあります。
欠点だらけだからこそ、伸ばせる余地がたくさん残っている。
そう思えるようになってから、私は伸びない記事に対する感情が「ため息」から「ワクワク」にだんだんと変わっていきました。
サラリーマンパパかすかくと、伸びない記事たちの泥んこ青春時代
ここで少しだけ、私自身の泥くさい話もさせてくださいね。
私は本業がシステムエンジニアで、日中はずっとパソコンに向かってデータをいじったり、システムの不具合と格闘したりしています。
仕事が終われば、今度は家で父親のスイッチが入ります。
妻には持病があって、体調が安定しない日も多いので、料理や洗濯、子どものお風呂や寝かしつけなど、できる限りのことを手分けしてやってきました。
そんな生活の中で、ブログに使える時間は本当に限られていました。
早朝のまだ外が暗い時間帯か、家族が寝静まった深夜か、昼休みの合間にスマホで少し書き進めるか。
正直なところ、いつも眠気と戦いながらの作業だったんですよね。
それでも、「家族のために、少しでも収入の柱を増やしたい」という思いだけで続けていました。
だからこそ、PVが伸びないときのダメージは人一倍大きかったです。
努力と結果がまったく比例しないように見えて、「なんでこんなに頑張っているのに」と何度も心の中で嘆いていました。
それでもブログをやめなかったのは、たぶん私の性格が妙にしぶとくて、あきらめが悪いからなんでしょうね。
そして、そんな長い停滞期間の中で、気づかないうちに「伸びない記事たち」と一緒に泥んこになりながら成長していたんだなと、今では少しだけ誇らしく思えたりもします。
AIとの出会いで、「過去の自分を救えるようになった」あの感覚
転機になったのは、AIとちゃんと向き合うようになったタイミングでした。
最初のころは、AIなんて正直「ちょっと賢い文章補助ツール」くらいにしか思っていなかったんです。
外注さん中心で記事を作っていた私は、AIを本気で頼る発想がありませんでした。
ところが、AIを使った記事作成やリライトの方法を学ぶ機会があって、実際にやってみたら衝撃を受けました。
「こんなに短時間で、ここまで骨組みが整うのか」と。
たとえば、伸びない記事のURLを見せて、AIに「この記事の弱いところを教えて」と相談すると、今までなんとなくしか感じていなかった問題点が、言葉として目の前に並ぶんです。
検索意図とのズレや、説明が足りていない部分、読者が引っかかりそうな箇所。
それらをひとつひとつ、自分の感覚と照らし合わせながら修正していくと、あっという間に記事の印象が変わっていきました。
何より大きかったのは、私一人では到底手が回らなかった「過去記事の山」と、ようやく向き合えるようになったことでした。
今までは気持ちのどこかで「直したいけど無理だよな」とあきらめていたのに、AIがいてくれるおかげで、「よし、今日はこの子を救出しよう」と、ひとつずつ記事を選んで向き合っていけるようになったんです。
それはただの作業効率アップ以上の意味がありました。
長いあいだ放置してしまった過去の自分に、「ごめんな」と「ありがとう」をちゃんと言いに行くような作業でもあったからです。
伸びない記事をリライトすることは、「ブログの空気を整える」ことだった
伸びない記事に手を入れ始めてしばらくたつと、少しずつブログ全体の雰囲気が変わってきました。
個々の記事のPVがじわじわ上がっていくのはもちろんですが、それ以上に感じたのは、「ブログの流れがスムーズになってきた」という感覚です。
今までは、関連性の弱い記事がポツポツと散らばっていて、読者が次にどこへ行けばいいのか迷子になりやすい状態でした。
ところが、伸びない記事をリライトして、そのテーマの中で役割を持たせてあげると、その記事がちゃんと“つなぎ役”になってくれるようになったんです。
同じ悩みを持つ人が別の記事へ自然と進めるように内部リンクを整理したり、古い記事と新しい記事の内容をなじませたりしていくうちに、ブログ全体がひとつの世界観を持ち始めました。
そうすると、アクセス解析の数字だけじゃなくて、自分自身がブログにログインしたときの気持ちも変わってくるんですよね。
以前は管理画面を開くときに、どこか「またあのPVゼロたちと向き合わなきゃいけないのか」という重さがありました。
今は逆に、「今日はどの子を育てようかな」と、ちょっとした育成ゲームを始める感覚に近いものがあります。
ゴミだと思っていた箱を開けてみたら、中から宝石の原石がごろごろ出てきたような、そんなわくわく感です。
それでも落ち込んでしまうあなたへ伝えたいこと
ここまで偉そうに語ってきましたが、もちろん今でも私は落ち込む日があります。
新しく書いた記事が思ったように伸びなかったり、コアアップデートでまたアクセスがガクッと減ったりすると、「もういやだ」と布団に潜り込みたくなる夜だって普通にあります。
でも、そんなときに支えになってくれているのも、実は伸びない記事たちなんですよね。
何度も同じようにつまずいて、そのたびに立て直してきた経験が、「今回もなんとかなるかもしれない」と小さな根拠になってくれています。
もし今、あなたが自分のブログの数字を見て「情けない」「恥ずかしい」と感じているとしたら、それはあなたが手を抜かずにちゃんと向き合ってきた証拠でもあります。
本当にどうでもいいと思っていたら、そんなふうに心は動かないはずです。
だからどうか、自分を責めすぎないであげてくださいね。
そして、画面の向こうで静かに眠っている記事たちに、もう一度だけ目を向けてみてあげてほしいなと思います。
そこには、過去のあなたが確かに生きていて、今のあなたにしかできない形で救われるのを待っているかもしれません。
まとめ
★★★ 画像 ★★★
PVがない記事は、決してあなたの失敗を突きつけるために存在しているわけではありません。
それはむしろ、あなたのブログの成長と、あなた自身の変化を映し出してくれる鏡みたいなものです。
昔書いた記事を読み返して「これはひどいな」と感じるのだとしたら、それは今のあなたがちゃんと成長している証拠でもありますよね。
伸びない記事は、欠点がはっきりしているからこそ、リライトの余地がたくさん残された宝の原石です。
AIという心強い味方がいる今なら、過去の自分が力尽きて置き去りにしてしまった記事たちも、少しずつ救い出してあげることができます。
その積み重ねが、やがてブログ全体の空気を整えて、読み手にも自分にも居心地のいい場所へと変えていってくれます。
あなたのブログにもきっと、ひっそりと隅っこで眠っている記事があるはずです。
もし今日少しだけ時間が取れるなら、その中からひとつだけ選んであげてください。
そして、「ここから一緒に育ち直そう」と声をかけるつもりで、その記事と向き合ってみてくださいね。
その一歩が、あなたのブログの未来を、そしてあなた自身の「書き手としての物語」を、大きく動かしていくきっかけになるかもしれません。
一緒に、伸びない記事を味方につけて、ブログの世界をもっと楽しくしていきましょう。
かすかくでした。


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