何にもしてない一日って、なんでこんなに胸がざわつくんでしょうね。
サボったわけでもなく、怠けたつもりもないのに、
気づけば「オレ…今日、何やってたんだっけ?」って静かに落ち込んでる自分がいたりする。
この間の土曜日、まさにそんな日でした。
家族が出かけてひとりになれたのに、やりたかったブログ記事にも手をつけられず、気づけばダラダラとスマホ見て、お菓子食べて、録画してたバラエティを流し見て……気がつけばもう夕方。
「せっかくの時間だったのに、オレ、何してたんだ…」って。
その瞬間にやってくる、あのいや〜な罪悪感。しみ出るようにじわじわ来るやつ。
でもね、その夜ふと思ったんです。
「何もしなかった日」って、本当に“なにもしなかった”のかな?
あの日の僕、本当に“怠けてた”んでしょうか。
いや、むしろ動けなかっただけなんじゃないかなって、夜になってからやっと思えたんです。
疲れてたのかもしれないし、気持ちがどこか追いついてなかったのかもしれない。
「やる気がない自分」を責めるのって簡単だけど、
実は心の奥では「ちゃんとやりたい」と思ってたからこそ、罪悪感を感じたんじゃないかって。
やる気ゼロの人はね、そもそも落ち込んだりしません。
「あ〜今日もゴロゴロして終わった〜♪」で終わりですよ。
でも、「やりたいのにできなかった」ってときだけは、心が静かに軋むんですよね。
あの痛みは、まぎれもなく“前に進みたい”っていう気持ちがある証拠なんだと思います。
罪悪感は「進みたい気持ち」の裏返しだったりもする
何もしなかった日って、なんだか存在を否定されたような感覚になるときありませんか?
「今日、意味あったのかな」って。
だけど、ちゃんと自分を見つめてあげてほしいんです。
罪悪感を感じるってことは、あなたが本気で前に進もうとしてるってことだから。
ブログ運営でもそう。僕だって9年やってきて、それでも「今日は書けなかった」って日が何度もある。
もう腐るほどある。
でも、不思議と完全にやめてしまうことはなかったんです。
たぶん、「やりたい」「やらなきゃ」っていう気持ちが、
罪悪感として残ってくれていたからだと思っています。
だからその気持ち、捨てないでほしいんですよね。
痛いかもしれないけど、そこにしかあなたの“芯”はないですから。
ミニサイズの「ちょっとだけ行動」が、実は効くんですよ
あの夜、僕はベッドの中でスマホを片手に、
ChatGPTに「30代パパ向けのブログネタちょうだい」って一言だけ打ってみたんです。
そしたらね、なんかちょっとだけ、ほっとしたんですよ。
「お、今日は0じゃなかったな」って。
そんなちょっとしたことで、罪悪感ってふわっと軽くなるんです。
「1記事仕上げなきゃ意味がない」
「1日5時間作業しないと結果出ない」
そう思ってると、自分の首を締めてしまう。
でも、「たった5分でも、前に進んだ」って自分で思えると、気持ちの立て直しがぜんぜん違うんですよね。
毎日100点を取らなくてもいいから、
5点でもいいから“やった自分”を自分で認めてあげることって、ほんと大事だなって思います。
止まってもいい。でも、やめないって決めておけば大丈夫
ブログって、コツコツがすべてなんですよね。
でもその“コツコツ”が、ほんとに難しい。
仕事から帰ってきて、子どもたちのご飯を作って、明日の持ち物を確認して、風呂入れて…
やっと自分の時間!と思ったらもう22時過ぎ。
目もショボショボ。体もギシギシ。
「そりゃ書けるわけないやん…」って、なるのも無理ない。
でも、そんな日があっても、やめさえしなければ、
続けたことって“結果”になっていくんです。
ブログって、やめたら終わりだけど、続けていればどこかで芽が出る。
ゆっくりでも、遅くても、道の途中にいる自分を信じてみませんか?
止まってもいいんですよ。
ちゃんと休んで、また戻ってこればいいんです。
「やめない」って決めておくだけで、それだけでいいんです。
まとめ:「罪悪感」は“もう一度やろう”の種かもしれない
もし今日、あなたが「何もできなかった」と感じていたとしたら。
まずはその気持ちを、まるっとそのまま感じてみてくださいね。
「やりたかったのに動けなかった」
「ほんとは、前に進みたかったんだよな」って。
それだけで、自分の中の“本音”に気づけます。
その本音って、あなたの芯であり、これからを支える大事な種です。
罪悪感は、その種の殻かもしれません。
殻が破れるときに、ちょっとだけ痛みがあるだけなんです。
だから、ゆっくりでいい。
深呼吸して、また一歩、踏み出せたらいいんです。
大丈夫。僕も隣で歩いてますよ。
また書きますね。
かすかく
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